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瀬戸夏子『白手紙紀行』(泥文庫001)

¥1,320 税込

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文庫判252頁 オーロラ箔
「現代短歌」2018年5月号から2019年7月号まで連載された同名の読書日記に加筆・修正を行い、文庫化。

わたしはこれまで使ってきた自分の言葉で、人間のかたちに換算すると三人分は人を殺してきたと信じているし、それは特定の三人を殺したという意味ではなくて、さまざまなわたしの言葉が直接的に間接的にただしいかたちであるいは誤解されて人やそのあいだの空気を傷つけ続けてきた結果、それほどの罪は犯しているだろうと考えている、ということだ。
別にこの考えを人に押し付けるつもりはないけれど、あんたも、おまえも、あんたも、やってんだよ、とわたしは思っている。きれいな、誠実な表情ばかりして、わたしは無罪だという顔でものを書いてる人間には全員吐き気がする。(本書より)



【書評】
あるいは真っ白な手紙 飯田彩乃

 「現代短歌」で二〇一八年五月号から二〇一九年七月号まで連載された読書日記。現代短歌社が京都にて設立した泥書房より発行される最初の書籍である。帯に引用された本文はインパクト十分で、肝煎りの一冊であることが伺える。レーベルとしての決意表明でもあるのだろう。
 読書日記というとブックガイド的な面があるのが常で、依頼を受けて苦心惨憺しながら花の歌を二百首選する二〇一九年二月あたりの記述は興味深いのだが、本書の眼目は読書から発展した思考およびその記述に振り切っている点である。後半になると、長い引用も相まってほぼドキュメンタリーの様相を呈している。
 書かれたものを読み、読んだということを書く。シンプルなことのようで、その構造は実は複雑だ。書かれたことは残り、書かれなかったことは残らない。あらゆる著者が取捨選択をして記した「書籍」を読み、読んだ自らがまた書いて発表をする。しかし、書かれなかったことはなかったことになってしまう、なかったと捉えられてしまう。けれども書かれなければそもそも伝わることはなかったという、このもどかしさ、遣る瀬なさ。これらを自覚しそれでも掬い上げていく行為こそが読書なのだと、改めて気づかされる。
 そして、書くということ、書いたものを発表することの暴力性。発表をしてそれが読まれる以上、他者から何かを仮託されているかもしれないと考えること。それら全てと相対し、問いかけ、歯噛みし、自戒しながら真摯に向き合った、一年と少しの営みが克明に記録されている。
 白手紙紀行というタイトルを載せた、表紙の箔は眩しく輝いている。あなたにはこれが何色に見える、と問いかけるかのように。

(現代短歌新聞2021年4月号掲載)

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